西園寺先生が担当する「社会」の授業、補習、特進コースで出題された問題をもとに、「社会」に関する雑学を書いていきます。記事は分野ごとに見出しを付けて、随時追加します。
それにしても奇抜な衣装ですね、西園寺先生…w
各分野の記事を、新しい順に掲載していきます。時々チェックしてみてください☆
地理
地理分野に関する雑学です。
2024/10/06掲載
都道府県庁所在地
都道府県庁所在地は、府県名と同じところが多い印象がありますが、実は異なるところも多いのです。日本のふたつの府、京都府は京都市、大阪府は大阪市なので、それ以外の都道県について、県庁所在地の市名と異なるところをリストアップしてみました。
都道県名 | 都道県庁所在地 |
---|---|
北海道 | 札幌市(中央区) |
岩手県 | 盛岡市 |
宮城県 | 仙台市(青葉区) |
茨城県 | 水戸市 |
栃木県 | 宇都宮市 |
群馬県 | 前橋市 |
埼玉県 | さいたま市(浦和区) |
東京都 | 新宿区 |
神奈川県 | 横浜市(中区) |
石川県 | 金沢市 |
山梨県 | 甲府市 |
愛知県 | 名古屋市(中区) |
三重県 | 津市 |
滋賀県 | 大津市 |
兵庫県 | 神戸市(中央区) |
島根県 | 松江市 |
香川県 | 高松市 |
愛媛県 | 松山市 |
沖縄県 | 那覇市 |
全部で19都道県が、県名と県庁所在地の市名が異なっています。残りの28府県は、県名と県庁所在地の市名が同じですが、政令指定都市については区名を補足しておきます。
都道県名 | 都道県庁所在地 |
---|---|
千葉県 | 千葉市(中央区) |
新潟県 | 新潟市(中央区) |
静岡県 | 静岡市(葵区) |
京都府 | 京都市(上京区) |
大阪府 | 大阪市(中央区) |
岡山県 | 岡山市(北区) |
広島県 | 広島市(中区) |
福岡県 | 福岡市(博多区) |
熊本県 | 熊本市(中央区) |
栃木市、山梨市、沖縄市は、県名と一致しているものの県庁所在地ではありません。現存する市の中では、このケースは3市のみです。栃木市については、1884年に栃木県と宇都宮県が合併し、県庁の移転が行われたことで、県庁所在地と市名が異なる結果となりました。
東京都は、かつて東京府だった時代があり(1889~1943年)、府庁は「東京市」に置かれていました。1943年に東京市と東京府が統合して「東京都」になったという経緯があります。
石川市はかつて存在していましたが、それは石川県ではなく、遠く離れた沖縄県の市でした。2005年に市町村合併によって「うるま市」となりました。
さいたま市は、2001年に浦和市、大宮市、与野市が合併して誕生し、2005年に岩槻市を編入しました。それ以前から漢字の「埼玉市」は存在せず、元の県庁所在地は浦和市でした。合併により誕生した市名が平仮名だったため、表記は県名と一致しない市となりました。
その他、県名と同じ市名でありながら、県庁所在地ではない市が1日だけ存在していました。それが、1956年に「茨城市」として市制施行されたものの、県内の他市町村より反発を受けて即日改称された、現在の「北茨城市」です。県庁所在地ではないのに、県名と同じ市名では紛らわしい、大阪府の「茨木市」と混同するなどの反対理由が挙げられていたそうです。
公民
公民分野に関する雑学です。
2024/10/06掲載
憲法の種類
憲法にはいくつかの種類があります。
まず形式の分類では、憲法典として制定された憲法を「成文憲法(成典憲法)」、それ以外を「不文憲法(不成典憲法)」と呼びます。多くの憲法は成文憲法ですが、たとえばイギリス憲法は、複数の文書として実質的には存在しているものの、最初からイギリス憲法として作られた単一の文書(成典)は存在しないため、不文憲法とも言われます。
そして憲法改正の手続きによって、「硬性憲法」と「軟性憲法」に分類されます。前者は憲法改正に通常の法律の改正と比べて厳格な手続きが必要なものを指します。日本国憲法は国会の発議により、各議院の総議員の3分の2以上の賛成が必要で、さらに国民投票によって投票総数の2分の1以上の賛成が必要と、非常に厳格な手続きを要するため、硬性憲法に分類されます。
さらに制定主体によって「欽定憲法」「民定憲法」「協約憲法(議定憲法)」「条約憲法」に分類されます。
欽定憲法は君主が制定したもので、大日本帝国憲法などがこれにあたります。民定憲法は人民によって制定されたもので、現在の日本国憲法がこれにあたります。協約憲法は君主と人民の合意により制定されたもので、フランスの「1830年憲章」などがこれにあたります。条約憲法は少し難しいのですが、「連邦国家の憲法がその構成主体間の条約によって成立した場合のもの」とされていて、これに該当するのは、1787年成立のアメリカ合衆国憲法などです。
製造物責任法(PL法)
製造物責任法は、PL法(product liability)とも呼ばれ、日本では1995年に施行されました。
民法においては、損害賠償責任を追及する場合、一般に加害者に故意や過失があったことを、被害者側が証明する必要がありましたが、商品の欠陥などによる損害は、被害者側が生産者の過失を証明することは非常に困難です。そこで、商品の欠陥などで損害を受けた場合に、生産者の過失を被害者が証明できなくても救済を受けられるという趣旨で制定されたのがPL法です。
ドーナツ化現象
都心の居住人口が減少して、その郊外の居住人口が増えることを、中心部が空洞のドーナツの形状になぞらえて「ドーナツ化現象」と呼んでいます。
日本においては、この現象は高度経済成長期から見られていて、すでに1960~90年代には、東京都区部の人口が減少し、その郊外の人口が増加していたようです。
日本史
日本史分野に関する雑学です。
2024/10/06掲載
大化の改新と壬申の乱
645年、それまで長く蘇我氏の専横が続いていましたが、中大兄皇子が中臣鎌足らと共謀し、蘇我入鹿を暗殺するという「乙巳の変」が起きます。それに始まる一連の政治改革を「大化の改新」と呼びます。中大兄皇子は弟である大海人皇子と協力し合って、この政治改革を成し遂げたのでした。中大兄皇子は後の天智天皇、大海人皇子は後の天武天皇です。
この兄弟は、大化の改新では協力し合ったものの、天智天皇が崩御した後、その太子である大友皇子の即位に反発した大海人皇子が挙兵し、勝利するという、日本でそれまで例を見ない内乱が起きています。これが672年に起きた「壬申の乱」です。
大友皇子は叔父である大海人皇子に敗北し、自害するという最期となりました。実際に即位していたかどうかについては、大昔から諸説があったのですが、1870年に「弘文天皇」という漢風諡号が贈られ、現在では正式に第39代天皇とされています。
三重塔や五重塔の本来の意味
日本各地に数多くの三重塔や五重塔があります。
国宝に指定されている三重塔は国内に13基、五重塔は9基ありますが、これらのもつ本来の意味は、仏舎利(釈迦の遺骨)を納めるためのものでした。サンスクリット語では「ストゥーパ」と呼ばれ、これは「舎利塔」を意味します。ただ、本物の仏舎利が実際に納められているのではなく、その多くでは宝石や経典などが代替品として納められているそうです。
日本では、愛知県の覚王山日泰寺と、京都府の釈迦山大菩提寺に、「本物」とされる仏舎利が納められているそうです。(前者はインドで発掘後にタイ王国を経由して日本に寄贈されたもの、後者はスリランカ大統領より公的な由来書をつけて寄贈されたものとされています)
大塩平八郎の乱
1837年、大坂町奉行所の元与力で、陽明学者である大塩平八郎とその門人らが、江戸幕府に対して反乱を起こします。
その背景には、前年に発生した天保の大飢饉により、各地で百姓一揆が多発していて、大坂でも米不足が起きている状況がありました。大塩は民衆を救うことを奉行所に提言するも拒否され、自費で民衆の救済にあたっていたのですが、民衆の苦境を顧みず汚職がはびこる大坂町奉行所の状況などに、ついに業を煮やし、武装蜂起を決意するのです。
乱は半日ほどで鎮圧されますが、元役人の反乱ということもあり、幕府には大きな動揺が走ります。これが後に天保の改革へ繋がっていくことになります。
五箇条の御誓文とは
1867年、京都の二条城において、江戸幕府第15代将軍の徳川慶喜が、明治天皇に政権を返上しました。これを「大政奉還」といいます。これによって翌1868年1月3日(旧暦12月9日)に「王政復古の大号令」が出されて、264年も続いた江戸幕府が廃止されることになります。
そして1968年4月6日(旧暦3月14日)に、明治天皇が明治政府の基本方針として「五箇条の御誓文」を出します。法令全書に記載の正式名称は「御誓文」です。
その第一条が「廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スベシ」(広く会議を興し万機公論に決すべし)で、広く会議を開き、すべてのことをみんなで話し合って決めるという、民主主義における基本的事項が書かれています。実際にはまだ封建社会が色濃く残された時代ではありますが、幕府後の日本は民主主義の方向へ舵を切ろうとする意欲が見てとれます。
なお、この「御誓文」は、戦後、1946年1月1日に昭和天皇が発した、いわゆる「人間宣言」で、全文引用されていますが、昭和天皇は1977年の記者会見で、民主主義は決してアメリカから押し付けられたものではなく、「民主主義を採用したのは明治大帝の思召しである」ことを示す必要があったという趣旨のことを語っています。
世界史
世界史分野に関する雑学です。
2024/10/06掲載
大航海時代
大航海時代とは、15~17世紀にかけて、ヨーロッパ人によりアフリカ、アジア、アメリカ大陸に向けて大規模な航海を行った時代を指します。主にスペインとポルトガルによるもので、新航路、新大陸発見などを行い、海外に対する植民地支配を強化していきました。
1492年にサン・サルバドル島に到達したクリストファー・コロンブス、1498年にインドへの航路をヨーロッパ人として開拓したヴァスコ・ダ・ガマ、1522年に世界初の世界周航を成し遂げたフェルディナンド・マゼラン一行などが、この大航海時代の主要人物です。
彼らはかつて「偉人」として扱われていましたが、2024年現在の評価は次第に変わってきています。クリストファー・コロンブスに関連する事項では、Mrs. GREEN APPLEによる楽曲「コロンブス」のミュージックビデオが公開され、大炎上したのは記憶に新しいでしょう。
辛亥革命
1911~12年にかけて、清で共和革命が発生し、6歳の宣統帝(愛新覚羅溥儀)は退位。1636年から続いた清朝は滅亡することになります。これが「辛亥革命」と呼ばれているもので、その指導者として中心的役割を果たした人物が孫文でした。
孫文は、革命の結果成立した中華民国の初代臨時大総統であり、中国国民党総理を務めた経歴から、現在の中華民国(台湾)では長く「国父」と呼ばれてきましたが、近年では中華人民共和国においても「近代革命先行者」としての再評価が進んでいるといいます。
なお、清朝最後の皇帝となった愛新覚羅溥儀ですが、22年後の1934年、大日本帝国が作った「偽りの帝国」とも呼ばれる傀儡政権「満洲国」の皇帝に即位することになります。
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